それが私の生活を終わらせてくれる訳ではない

旅行に出かけたり、長い休みに入ったりする直前になるといつも思うのだけど、旅行に出かけたり長期休暇に入ったりしたところで、それで今のこの生活が変わる訳ではない。旅行から帰ってきたら、休暇が明けたら、またいつもの生活が始まるのに、一体これらの何が楽しみなのだろう。始まる前から、終わった後のことをいつも考えている。本当はこの生活そのもの自体が終わってくれることを願っているのに。何が楽しみなのだろう。年末年始なら家族に顔を見せられるという効果はあるけれど。

休暇を期間でなくて瞬間で考えている、と言えるかもしれない。望んでいるのは有限ではなく無限なのだ。期間の定めのない休暇。永遠に「やらなくてはならないこと」が起こらない世界。全てが自由意志である世界。すなわち生存への抵抗。

最近は毎日のようにお前引っ越すんかい、という量のゴミを出している。引っ越すかもしれないけれど、ここはここで結構便利な場所なので引っ越すかどうか迷っている。しかし、そういえば12月というのは基本的に大掃除をする月らしく、あれだけ大量のゴミを出していても「ああ大掃除してるんですね」とは思われても、「引っ越すんかい」とは思われないのかもしれない。私は12月に大掃除はしない。寒いからである。生まれつきの末端冷え性がどうして手先を濡らして掃除をしなければならないのか。するならまだ夏のほうがいい。クソ暑い夏に掃除なんてしてられないと思うかも知れないが、こっちからしたらクソ寒いのに掃除なんてしていられない。ところが組織に所属していると冬に大掃除をする。だから手先を濡らして凍える思いをして大掃除をしなければならない。やはり冬は滅ぼさなければならない。