おせち消滅

正月元日。例によつて為す事もなし。
永井荷風断腸亭日乗』)

三が日、特に1月1日というのは1年のなかでもっともなんにも起こらない日なので、そういう日に日記を始めるのが悪いのだが、世の中の日付入り日記帳というのはだいたい1月1日で始まるように作られており、1月1日に日記を始めざるを得ないようになっている。日本における日記史上、特に近代以降においては最も有名のひとつであろう『断腸亭日乗』を42年にわたって続けた永井荷風でさえ、1月1日はこう書かざるを得ない年だってあったのである。しかも上記に引用したのは、ほぼ天気だけの記載になった晩年ではなく、大正7年、つまり書き始めて2年目である。

おせちが消滅した。我が家の場合、どこかのおせちセットなるものを購入するのではなく、おせちに入っているものを一品ずつ二弾重ねのタッパーの中に入れていたのだが、それが消滅した。残ったのはかまぼこと数の子程度の「おせちの残骸」と言うべきものだった。帰ってくるときに「おせちないよ」と言われたのでおせち消滅は知っていたのだけど、「雑煮があればいい」と言おうとして、「雑煮もなくそうと思っていたんだけど欲しかった?」と言われる可能性があったので雑煮については言及しなかったのだけど、雑煮は残っていた。

ここまで書いていたら地震が来た。いや、そこまでしなくていいんだけど。