微妙な青の違いをぜんぶ丸めて岩群青でドーンと塗りたくってしまう

モネと福田平八郎を並べられたらそら福田平八郎に行くでしょ、ということで「没後50年 福田平八郎」に行ってきた。というか本当にモネに行きたかったら上野の森で見ているからな。

福田平八郎は去年の「重要文化財の秘密」展で見た《漣》がよかったのと、近美の《雨》を知っているぐらいである。でもこの2枚からも「抽象的」「幾何学的」「模様みたい」というようなイメージをなんとなく持っていた。

でも、この展覧会はその抽象や模様は対象の徹底的な写実の末にたどり着いた場所であるということを教えてくれる。jpgの画像を拡大し続けていくとやがてそれがちいさなピクセルの集合体になっていくように、写実から装飾、文様的、ある意味でデザイン的なものへと変わっていったのかもしれない。福田平八郎は純粋にひたすらものを見続けた画家であった。

大分県立美術館以外では初登場らしい《雲》は空の一番青い部分と雲の一番白い部分を切り取ってきたようなそんな絵だった。細かいところを見ると微妙に色を変えながら、その画面全体を視界に収めようとすると青一色と白一色がぶつかり合っているように見える。郷さくら美術館の村居正之展で見たギリシャサントリーニを思い出した。村居正之も現代の日本画家。青を群青一色で塗り、その下にほぼ純白の建物を置く。西洋画ならたぶん、空の色の微妙の変化を表現していくだろうと思う(印象派なら尚更だ)。でもその微妙な色の違いを一緒くたに岩群青でドーンと塗ったくってしまうのが、屏風の余白を金箔を貼って埋め尽くしてしまう「日本」の平面性なのかどうかは知らない。

グッズは色々あったのだけど、そもそもメインが《漣》なのでグッズは攻めている。それにしても最果タヒとコラボすることを思いついた人は天才だと思ったのだが、残念ながら池袋のジュンク堂でもなぜか売られている。なぜだろう。