はてなブログはトピックに美術鑑賞を持たないという構造的欠陥を抱えている

最近あまりに美術展の感想を書きすぎて雑談とか日記とは離れている感じがしたのだが、はてなブログはトピックに美術鑑賞を持たない。

クラシックのコンサートを聴きに行ったら音楽だし、絵を描いたら創作だし、映画館に行ったら映画があるが美術館はない。旅行先で美術館に行ったら旅行になる。旅をするように生きる、というトラベラーズノートのキャッチフレーズのような思考法であれば家から30分ぐらいのところにある美術館に行くのも旅行だという論理が罷り通るのだろうが、残念ながらトラベラーズノートを使っていない。180度開いてくれないのが心理的に受け付けなくて使えない。それで仕方なく日記・雑談みたいなところにいるので、純粋な日記を期待して読者になっていただいている方がいたら申し訳ない。

まあでもこのブログにはご覧の通りはてなブックマークのボタンもなければ読者になるボタンも表示させておらず、はてなの他のサービスに誘導しようという気がそもそもない*1。そのうえPROユーザーでもないからはてなに金をビタ一文も払っていない。だからはてなブログの制度批判をするには説得力がなさすぎる。

しかし美術評論などは大学だと文学部の哲学科とかで扱うらしいので、日記・雑談みたいなカテゴリでおおよそ間違っていないのかもしれない。確かに図録巻末の論考などを読むとアポリネールだのベンヤミンだのデリダだのサルトルだのボードリヤールだの、そういう単語が出てくるし、ちょっと「国民性」の話をするとすぐ『想像の共同体』を引っ張ってくる。ただ、あの有名な「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体《イマジンド・ポリティカル・コミュニティ》である」というフレーズは最初の30ページ目ぐらいに出てくるので、それしか引用していなかったら最初の30ページぐらいの「序」しか読んでいない可能性がある。「私『想像の共同体』ぐらい知ってます」アピール。でも文学部出てる奴は基本的にみんな読んでるでしょと思ったら別にそんなことはないらしく、なんでか知らんが政治学を齧ってた奴のほうに読んだ人が多いのはなぜだろう。政治学の本でしたっけ?

*1:このブログの内容を「共有」されたくないのである。