夏にぴったりの涼しげな哲学

そういえば夏だった。気が付いたら夏、というわけでもない。週間天気予報を見て、ああそろそろ梅雨明けだな、とか思うわけでもなく、なんか暑いなと思っていたら夏だった。

手頃な大きさの本がなかったので仕方なく『存在と時間』を会社に持って行った。GWが終わると7月まで3連休がないから書店でhontoポイントが増える機会がない。だから本を買わない。それで実家に眠っていた『存在と時間』を掘り起こしてきた。文庫本でなければ本はあるけど、あまり四六判のハードカバーの本を会社に持っていこうという気にはならない。

文系の大学生はみんなハイデガーとか読むものだと思っていたので、上下分冊のちくま文庫版の『存在と時間』を買うという行為はまだわからなくもない。わからないのはそれを買って10年以上も読み返しもしないうえに、実家に帰るたびに要らんものは処分せよと言われ続けたにもかかわらずそれを売ったり捨てたりもせず蔵書として塩漬けにされていたものを、ひょっこりとこちらに持ってきたというこの一連の経緯である。

ほぼ日手帳のカバーは10mm厚の文庫本1.5冊ぐらいが入るように設計されている。『存在と時間』は分厚いので、バタフライストッパー2つに1本のペンを挿そうとしても手帳は閉じない。裏返せば手帳を閉じようという機能を最初からあきらめられるので、ペンを2本挿すという機能に全振りできる。しおりは2本あるから、本文と注釈の部分に1本ずつ挟める。ポケットにはココフセンのカードタイプ。さすがにこの本をペンも付箋も持たずに読むのは無理がある気がする。大学生の頃は読むという行為が大事だったのだけど、いまは別にそうでもない。まあでも自分が考えたこととかではなく、他の本に書かれていた読解の助けになりそうな文章を引き写してくることのほうが多い。

 

カバーはマリンボーダーを使っている。見た目だけ夏。哲学って夏に読むものなのかな。それとも夏にぴったりの涼しげな哲学。でも、「夏休みなんだから長い本でも読んどけ」という売り方になって、最終的に『存在と時間』へと戻ってくる。