イトマキエイの味の記述の変遷に関する一考察

小学館の図鑑Z 日本魚類館』(2018年)の「イトマキエイ」(Mobula mobular)の項目に、興味深い記述がある。

身は少し黒ずみ弾力があって魚と肉の中間のような食感と食味だが、日本では食べない。

つまりこの項目の著者はイトマキエイを食べたのである。このときは別にイトマキエイの味について調べていたのではなく、もっと他のことを調べていたのだが、調べていると少なくない数の図鑑がイトマキエイの味について言及している。

不味。(『新訂原色魚類大図鑑 図鑑編』, 北隆館, 2005)

定置網などでときどき漁獲されるが、肉は不味であるという。(日本大百科全書(ニッポニカ))

肉は不味。(ブリタニカ国際大百科事典)

肉はうまくない。(科学技術教育研究所編, 『学習魚貝図鑑』(保育社の学習図鑑; 6), 保育社, 1964)

肉は不味であるが、体が大きいので、肝臓から多量の油がとれる。(蒲原稔治, 『原色日本魚類図鑑』(保育社の原色図鑑; 5), 保育社, 1961)

散々な言われようである。しかしニッポニカの記述が全てを物語っている気がする。「不味であるという」。つまり食べてはいないのである。この「イトマキエイ=不味」の最も古い文献は、現在私が発見した限りでは今のところ1931年に刊行された『原色日本魚類図鑑』(田中茂穂著, 太地書院)である。

肉は左様のものでないが、其肝臓から魚油を搾取する。

言い方に魚類への配慮を感じるが、要するに美味くないのである。しかし『日本魚類館』は「不味い」とは一言も言っていない。単に「日本では食べない」としか言っていないのである。だから『原色日本魚類図鑑』から90年弱の時を経て、初めてイトマキエイの味に関する具体的な記述がなされたのである。

最近はイトマキエイの近縁種ヒメイトマキエイを調理して食べた例をインターネットで見かける。ヒメイトマキエイは水族館だと美ら海水族館にしかいないくせに日本近海でたまに上がるらしい。

このイトマキエイやトビエイの類は生態についてはまだ未解明の部分が多いらしく、イトマキエイやヒメイトマキエイ、ナンヨウマンタなどはトビエイ科なのかイトマキエイ科なのか、見る文献によって全く異なるので結局今どうなっているのかわからなくて困る。イトマキエイも昔の学名はMobula japonicaだったし、私が子供の頃「マンタ」と言えばオニイトマキエイを指したのだがいつの間にかナンヨウマンタとオニイトマキエイの2つに分かれた挙げ句、当時日本の水族館にいたのは全部オニイトマキエイではなくナンヨウマンタだったという。難しい魚である。まあでもトビエイ科だろうがイトマキエイ科だろうが別に大した問題ではない、というのが大多数の人間の意見であろう。魚を目の前にしてその名前を気にするのは水族館ではなくスーパーの鮮魚売り場であって、気にするのは名前よりも値段や鮮度である。こんなことに困っているのが空虚なのである。